(1)国分尼寺に始まる法華寺の歴史
●金屋町にある法華宗の古寺で、もと安養寺の地にあった国分尼寺に始まるという。元和元年(1615)安成院日就が現在地に移し、二世日伝のとき藩主秀元の側室・正福院の両親の帰依あつく、その香華所となり毛利家から寺田を賜い諦玄寺と称したが、明治3年(1870)2月、元の法華寺と改称。昭和31年1月火災により焼失、その後再建される。

(2)維新時の大庭家当主伝七
●墓地にある大庭家累代之墓は維新時に活躍した大庭伝七の子供たちによって明治40年(1907)4月1日に建立されたもの。維新時における大庭家の当主大庭伝七は豪商志士として知られる白石正一郎・同廉作の実弟で、天保3年(1832)白石家に生まれ名は景明。長府大年寄大庭家の養子となって大庭家を継ぐ。兄正一郎らと共に勤王志士と交わり国事に尽力。特に高杉晋作を支援し、元治元年(1864)11月の高杉晋作筑前亡命に際しては同行する。維新後、太政官(文部省)に出仕するが、明治
18年(1885)9月13日、54歳をもって東京において没。
伝七には3人の息子がおり、長男は景一(陸軍少佐)、次男は景陽(維新史料編纂所)、そして3男の景秋は、ロシアで姿を消した大正前期の名ジャーナリストとして知られる大庭柯公(おおばかこう)である。