(1)長府毛利家の菩提寺の1つ
●元禄11年(1698)、第3代藩主毛利綱元が、中国福建省の人宇治の万福寺第七世悦山道宗禅師を招き、開山として創建。長府毛利家の菩提寺となり、綱元の他、6代匡広(まさひろ)、13代元周(もとちか)を祀る。当寺は創建以来学僧が集まり、藩士の従学する者も多く、文教振興の拠点となる。
境内には、国の史跡・長門鋳銭所跡、市指定文化財で室町期禅宗様式建築の本堂のほか、乃木希典・狩野芳崖の銅像、生田蝶介の歌碑などもある。

(2)維新時における覚苑寺
●文久3年(1863)5月10日に始まる攘夷戦の際、居館が海辺にあることから外艦の攻撃をさけるため、一時期、藩主の陣営となり、奥向きの女性組は井田村(勝山)の来福寺に避難。(6月5日の朝、フランス軍艦が満珠・干珠沖に来て、居館に向かって大砲を射ち込み、その弾丸が居館の屋根を越え、2~3町離れた御家中が住むあたりに落ち、土蔵に被害)
これと同時に、6月28日から四王司山・勝山・青山の三山に囲まれた要害の地に新居館築営の工事が起こされ、元治元年(1864)2月1日、新居館が完成し、藩主一同入居する。(勝山御殿跡)
また、三条実美ら五卿が功山寺に潜居の間、これを守るため諸隊が長府に集結。覚苑寺は奇兵隊の屯所となったとも伝えられている。